貴方を思い出すと私は哀しい

呉西しの さんが、綴ったり綴らなかったり。ノベルとか小説とか書いています。御用の方はonisisino@gmail.com まで。HP: http://onisisino.xyz

雑記 伝え方と。リアリティと。

 

雑記 タイトル変更しました。

フィクションとノンフィクション。

キモイ自分語りと

グロい内容もあるので注意

 

 

 

 

 

 読者は私ではない。

 なので、全く知らない赤の他人に、物語の内容を伝えるのは難しい。

 私が饒舌であったとしても、隣に座って紅茶を飲みながら懇切丁寧に物語を伝えることはできない。第一、聞いてくれる人なんていない。

 だから、私はなるべく魅力的な文字で、丁寧に、技術を駆使して、読んでもらう他ないのだ。

 

 

 高校生の時、三人の国語の先生に授業を教えてもらった。

 それはとても印象的でいまでも覚えている。

 

 一人は熱血で若い先生だった。

 学生の私から見ても、熱いけど、気持ちが空回りしているように感じた。

 作品は恩田陸先生の真夜中のピクニック。

 

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

 

 先生が授業をはじめ黒板に内容を書き始めたとき、私は驚いた。

 誰がしゃべっているかぐちゃぐちゃであったのだ。

 でもそこは先生なので、こういう話なのかな? と小首を傾げながらノートにとった。が、やはり気になりすぎて授業が終わったあと、教科書をもって先生を引き止めた。

「先生、すみません。こことここは貴子の言葉で、多分この様な気持ちだとおもうんですが……」 

 先生は顔を赤らめていた。

 先生の読解力がない! と言いたいのではなく、たくさんの人が読めばだれか一人くらいは誤解して読んでしまうのだと思う。伝えることは難しい。

 

 

 

 もうひとりの先生は、少し威張った感じの先生だった。

 教えてもらったのは山月記

 

山月記

山月記

 

  確か、李徴という自信家が自分の役職に満足できず、色々してみるけど失敗して屈辱的な気持ちを味わい、行方不明になる。見つけた時には虎になっていたという話。(かなり端折ってますが)

 正直、学生で読解はそこそこ難しい方だと思う。

 だが、その先生は淡々と教えてくださった。私にはわかりやすいと感じたが、その時の中間テストのクラス平均点はすごく悪かったと記憶している。

 

 

 

 もうひとりの先生は、教頭だった。

 威張った先生が倒れ、教頭先生自らが授業をしてくれたのだ。

 題材は「こころ」夏目漱石氏の作品である。

 

 

こころ

こころ

 

 

 夏目漱石氏といえば、「吾輩は猫である」がもっとも代表的で親しまれているけれど、私はこの作品が好きだ。

 しかし、授業をうけるまで私はこの作品について全く知らなかった。

 先生の授業は本好きの私の考え方を更に変えたと思う。

 大体の先生は、朗読、気持ちの解説、ノートに記入だろう。

 しかし先生は、時代背景について詳しく教えてくれた。

 「こころ」は大正時代に書かれた作品で、明治から大正に変わる際、殉死がキーワードになっている。

 勿論、作品の大筋は三角関係の泥沼バッドエンドなのだが、明治から大正に移り変わる空気感。その時代の人の考え方。

 いまでこそ在り来りな三角関係だが、そのあいだにチラリと顔をみせる時代背景がとにかく美しいのだ。

 他の先生ならさらりと流していただろう。

 そういった作品の奥へ奥へと連れて行ってくれる授業スタイルが、とてもよかった。

 ギャル達、チャラ男達が前のめりに授業に聞き入っていた。

 

 

 

 そう言う意味で、高校生活での国語の授業は私にいろいろなことを考えさせてくれた。

 

 

 

 さて、力不足ながらも連載をいただき、現在は読む側から書く側にまわってしまった私だが、困ったことに私は小説を書くまであまり人に自分の思想を伝えなかった人間だ。

 気持ち悪い身の上話だが、家庭環境が酷く荒れていた。

 両親はどちらも若かったし、私は何度か捨てられた。

 母が口から血を吐いたり、なんだか色々あったけれど、特別助けてくれる人はいなかったと思う。

 多分、当時はすごく辛かったと思うし、ひねくれていた。

「誰もわかってくれない」と悲観的になっていたし、諦めていた。

 でもその感情は、スポットライトを浴びる悲劇のヒロインじみたものではなく、皆人それぞれ多かれ少なかれ辛いことがあるし、辛いっていっても私と同じ経験をした人はいない。私の気持ちはわからないし、わかってくれたところでそれはわかったふりだというひねくれた考え方だったと思う。また、わかって欲しくない、と思っていた。

 

 しかし、作品を作る上で、私の経験は貴重だった。

 使わない手はない。リアルをリアリティをもって書くのはとても難しいけれど。

 だってそれは私が一度、「わかってもらわなくていい」と捨てたものだからだ。

 

 最近は、想像することが楽で好きだが、少しチープに感じてしまう。

 結局読者にどのように読まれているか、映っているかはわからない。

 だが、伝えることを諦めてはいけないし、そのためには技術を磨きたいと思う。

 フィクションに少し本当を混ぜる。

 今までの自分が全部無駄ではないと思いたい。