貴方を思い出すと私は哀しい

呉西しの さんが、綴ったり綴らなかったり。ノベルとか小説とか書いています。御用の方はonisisino@gmail.com まで。HP: http://onisisino.xyz

雑記 作品の話。

 

あけましておめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

麗子を修正し、やっと送るべきところへ送ることが出来ました。

麗子は賞に応募するための作品だったのです。

 

 

アルファさんをはじめ、熊や色々な作家さんにも目を通してもらい、

作品にはいつも真剣に向き合っているけれど、いつも以上に念の籠った作品になりました。

 

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「落ちたら落ちたで文フリに持っていこう~」

書き始めた時はそんな風に言っていましたが、多分落ちたら笑えないくらい悔しいと思います。

それくらい力を込めて書きました。

情を通り越して、怨念になりつつあるそれは、気持ちを込めて書いたのだという証ですので自分にとって凄く嬉しいのです。

とはいえ、自分の作品が誰よりも秀でているかというとそういうわけでもなく、あくまでも自分の中で最高傑作というだけなのです。云々。

 

 

麗子は去年の九月ごろから考えていた作品でした。

書き始めたのが十一月三十一日なので実に三か月近く頭の中に麗子が居ました。

プロットは珍しく、二転三転していて、うまく纏まらず、本当は叙述トリックを書きたかったのにかすんでしまいました。

また、心美というキャラクターも書き始めは居たのですが、二回目のプロット書き直し時には文字数の関係で消え、アルファさんに掲載時に復活し、作品の修正で心美は結局消えました。

 

ですので、応募する作品に心美はいません。

全く違うエンドとなっています。

 

 

 

私は私としてしか生きたことがないので

他の方がどのように作品を作ったり、どのようにネタを集めているのかわかりませんが、私は作品を作る際、日常の疑問みたいなものに気付く度、スマホでメモを取ったりしています。

プロットを練るときに、伝えたいことをまとめて、自分が何をどうしたいかまとめまるのですが、その時に日常の疑問を詰め込みます。

 

今回は『自分を自分だと認識できる理由とは』みたいなことで。

 

 

作中で主人公と瓜二つの双子の弟が目の前で亡くなり、主人公は弟になり替わることを決めます。

その時、鏡越しに自己暗示をかけるシーンがあるのですが、これって自己啓発や精神崩壊系でよく使うんですよね。

それほど、人間の“認識”みたいなものは弱いものなんだろうなぁって、常々感じていました。

また自分も幼いころ、似たようなことを経験したことがあってそれが今の今まで残っていたのかもしれません。

 

結局プロットの段階では『自分を自分だと認識できる理由とは』『他人が私のことをそう呼ぶからである』と締めくくったわけですが(プロットの段階で結末まで書かなくてはいけないのでとりあえずそういう終わり方にしようと思っていた)実際書いてみると『他人が私のことをそう呼ぶから』なんだろうけど、それって結局自分が他人に『そう思わたいんじゃないの?』というように、自分の中が整理されていきました。

 

まぁ、でも、解釈は読んでくださった人にお任せいたします。

 

 

アルファさんで掲載分がハッピーエンドとするならば、

完成品はバッドエンドなのです。

 

 

まず初めにも書いたように

完成品には『心美』が居ません。

 

心美とは作中唯一の救いであり、

泥沼からの生還者です。

 

 

一方バッドエンドには救いがなく、

キャラクター達は逃れられない現実に向き直るエンドです。

 

熊曰く、

「もし、この物語に続きがあるなら、主人公は狂って麗子さえも殺すのでは?」

とのことですが、そういう感想も面白いなぁと思います。

 

熊にも、続きを! と言われたのですが

麗子はここで、終わろうと思います。

 

 

落ちたら笑えないといいつつも

落ちたら「やっぱり文フリにもっていこう」という気持ちも大きいのです。

 

とはいえ、どんな形でも麗子は戻ってきます。

私にとっても一年を締めくくるにふさわしい作品でした。

 

 

ただ少し、麗子を書くにあたり、精神的なエネルギーを消費しまくりました。

ですので、そろそろ馬鹿みたいな話を書きたいな、と思っています。

今年もよろしくお願いいたします。