貴方を思い出すと私は哀しい

呉西しの さんが、綴ったり綴らなかったり。ノベルとか小説とか書いています。御用の方はonisisino@gmail.com まで。HP: http://onisisino.xyz

49綴り 言葉の呪い、世界の終わり

 

短編

 

 

 その日は静かな夜だった。

 ゴソゴソという音が聞こえた後、黒い影が私を見ていた。

 いつものように寝たふりをする私に、影が声をかける。

 

「奈央、お父さんも一緒に寝ていいかい?」

 

 その時、私は8歳だった。

 幼いながらに家庭の変化に敏感で、ただ何となく、この世界が終わってしまうんだと気付いていた。

 

 物心ついた時から家庭環境は最悪だった。

 両親はお互いがお互いを嫌っていた。

 私の世界はぐちゃぐちゃで、いつ壊れてしまってもおかしくなくて。

 だから、終わるんだろうなと気づいた時は、悲しさもなかったのを覚えている。

 ただ、ああやっと平和っていうものになるんだ……と期待すらしていた。

 

「いいよ。お父さんと一緒に寝ても」

 私は目を閉じたまま、父に言った。

 無言で布団に入ってきた父は、私を後ろから抱きしめた。

 

「ごめん、ごめんな。お父さんとお母さん、バラバラになることになった。辛い思いをさせるだろうけど、お父さんは奈央のことを愛してるよ」

 

 父は泣きながらそう言った。

 私は父に抱きしめられながら寝たふりをした。

 ちょっとだけ泣いた。

 

 両親の離婚を心の奥で嬉しいと思っていた自分を幼いながらに恥じた。

 父は私を愛してくれているのに。私はなんて酷い奴なんだろうと。

 

 それから父としばらく疎遠になった。

 母は相変わらず父の悪口を私に言う。

 あいつが浮気したからだ、とか、暴力が、と。

 しかし、私は母の言葉に耳をかさなかった。

 私の中には父の『愛している』という言葉があったから。

 

 だがそこから何年も経ち、父からの連絡は一度もなかった。

 私は結婚ができる年齢になってしまった。

 それでも私は父の言葉を大事にしまっていた。

 どんなに辛いことがあっても、それだけを支えに生きてこれた。

 父が私を『愛して』くれている。

 

 ある日、ショッピングモールの中で父に似た人を見つけた。

 まさかと思ったけれど、後をつけると父に似た人に若い女性が近づいてきた。その後ろには小学生くらいの二人の子ども。

 子どもに笑いかける表情は、少し老けていたが父だった。

 

 膝から崩れ落ちてしまいそうな程ショックだった。

 全身から血が引いて、貧血みたいに指先が冷たくなる。

 父が子どもたちと何か楽しそうに話しているが聞こえない。

 ただ、子どもの一人を抱きかかえ「お前たちだけを愛しているに決まってるじゃないか」とそう言ったのがはっきりと聞こえた。

 

 私は愛されていなかったのか……。

 何が本当で、何が嘘かわからなくなった。

 私はその場から逃げ出した。

 胸が痛くて、苦しくて、辛い。

 その日はどうやって帰ったのか覚えていない。

 それから数日を無気力に過ごした。

 

 でもおかしなことに、どんなに傷ついても、どんなに苦しくてもその痛みもいつかはなくなる。

 寝て過ごす日々も、少しずつベッドから起き上がれるようになって、働けるようになって、好きな人ができて。

 忘れてしまう。

 それでもたまに忘れていることを思い出して、今ある幸せに(普通に暮らさなくちゃ)と自分を殺した。

 

 表面上は幸せだった。

 過去は所詮過去だと笑いながら暮らしていた。

 

 ある日長くお付き合いした彼が高級なレストランに私を呼んだ。

 そろそろか、と期待した。

 きっとプロポーズだ。

 長かった。これでやっと人並みの幸せを得られる。

 幸せな家庭を築くんだ。

 そう思いながら、夜景の見える席に座った。

 

 彼は小箱を取り出して、開いて見せた。

 

「結婚しよう」

 

 その言葉だけで幸せを感じた。

 これから、私、幸せになれる。

 

 彼がまた口を開いた。

 

「俺、奈央のこと、愛してる」

 

 私の感動は、壊れた。

 安っぽい恋愛映画を見ているような冷めた感情。

 主観ではなく、客観に変わっていく。

 

 愛しているだなんて、どうして言うんだろう。

 その言葉にどんな重さがあるというんだろう。

  

 押し黙って、私は気付いた。

 両親は初めからお互いを嫌っていたわけではないと。

 こうやって『愛している』と言いあい、嘘になったのだと。

 

 みんな『愛している』という言葉に呪われているんだ。

 

 私は……、私だけはだまされない。

 

「ごめんなさい」

 席を立って、私はその場から立ち去った。