友だち以下の、知人以下

HP: http://onisisino.xyz

雑記 孤独死とハッピーエンド

 

日々の雑記です。

意味はない。

 

 

人の死は悲しい。

よくわからないけど。

 

 

先日、孤独死があった家を掃除した。

普段は人が死んだ部屋を掃除することはない。

基本的に割りに合わないし、精神的にキツイから。

会社が受ける清掃の仕事は、夜逃げや引越し後の不用品整理。

そして私が現場に行くことはほとんどない。

事務と雑用が主な業務の為だ。

 

だから、その日は“たまたま”普段受けない仕事を受けて、“たまたま”私も作業することになった。

 

死後一日未満で発見されたため死臭はなく、遺体はもちろんない。

 

 

おそらく、人が死んだ場合、発見されればそのまま親戚に連絡が入ったり身元整理のために家は少しの間そのままになるんだと思う。

だけどその家は遺体を発見した次の日に清掃依頼がきた。

家主が一刻も早く清掃したいんだとか。親族もおそらくいないんだろう。

見積もりに行ったスタッフが帰ってきたときに「とても臭い」「今すぐに整理してほしいらしい」と言われた。

 

再度記載するが死後一日未満、冬場なので死臭はない。

家に到着すると玄関から部屋にかけてゴミ、ゴミ、ゴミ。

異臭は生活ゴミの腐敗臭だ。

ワンルームにポツンと折りたたみテーブルがあり、ゲーミングパソコンに液晶モニターが三つ。狭そうに並んでいる。

そのパソコン前だけ、ゴミの層が薄くなっていた。

テーブルの周りはゴミ、ゴミ、ゴミ。

2Lのペットボトルがズラリ。

 

清掃をしていると無心でゴミを手に取り、袋に入れる“作業”になる。私はそれだけの機械だと言い聞かせる。

それでも脳みそと体を切り離すことができなくて、想像する。

 

パソコン前にコンビニで買ったパンをほおばるおっさん。

食べた後は袋をその辺にポイとする。

眠くなったらゴミをかき分けて丸くなる。

 

眠くなって、眠って、起きなかった。

 

 

 

人の死は無条件に悲しい。

目の前で死のうとしていれば止めるだろう。

もし私の小さな労力で誰かが救えるなら何も考えはしないだろう。

 

 

ただ、誤解しないでほしいのは、孤独死=その人が不幸だったというわけではない。

この世からなくなってしまうことが悲しいと思うのは私で、死が幸せな人もいると思う。

 

現に亡くなった人は仕事もなく、お金もなく、遺体をみつけたのは支払いを請求しにきた人だったから。

お金というものが、人を追いかけるものだと気づくと人生は生き地獄になる。

息をする(生きる)だけでもお金がかかる。

働いても働いても生活が楽にならないこともある。

生き地獄で苦しむより、本当の地獄(空想)に行ってしまったほうが楽かもしれない。

取り立てる人が困っても、大家が困っても、清掃業者が苦しんでも、なくなってしまえばしったこっちゃない。

死とはそういうものだから。

死ぬ間際、冷蔵庫に入った卵の賞味期限を気にする人なんていない。

卵は刻々と腐っていく。

 

だからその人がどう思って死んだのかはわからない。

死を悲しいと思うのは私の主観。

 

それでも誰もいなくなった家をみるといつも悲しい気持ちになる。

地獄にも天国にも持っていけるものは何もない。

 

 

毎日を楽しく暮らすのも、狂って暮らすのもそう変わらないなぁ。

でもできるなら、物は少なく、笑う回数を多く。

楽しかったと死にたいな。

誰がどう思っても、自分が楽しかったと思えるように。